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コンセプト

Sapporo 2の雪は、美しい。

その年最初の雪は、さあここが新しい始まりなんだと告げる。新鮮で、美しく、そして真っ白。
ただで手に入る上に、全てを覆い尽くす雪。
目にしているものは隠され、見えなかった別のものが露わになる。
ものの姿かたちは消え失せ、様々な形はひとつのまとまった風景になる。
動くものにはみな動いた跡がついてくる、同じ導線上に後ろへ前へとひっぱられながら、そのうちにほかの線と重なりあう。時間がたちまち視覚化されていく。

全てが白い、なにひとつ痕跡のない表面であり、または生々しい暗示なのか。

雪は平等である、そしてすべてのものとすべての人のてっぺんに降ってくる。
ただで手に入り、だれのものでもない。

雪は文化的な発展を黙って見守っている。
雪は来年もまたそのあとの年も、降り続く。
失敗と進歩のために、可能性とチャンスをくりかえし差し出してくれるかのように。

雪という現象は、空の雲に戻ってしまうまでのほんのつかのまの姿だ。
雲は雨に、溶けた雪に、河に、湖に、海そして大海から気体へと変化する。
雪はたしかに存在はするが、ほんの一瞬だ。

もしも私たちの現実が雪でできていたなら、その季節がくるたびにわれわれ自身について見直すことが出来るだろう、それに言ったことはみんな、そのうちぜんぶ消えてなくなるのだし。

Kamiel Verschuren / カミーユ・フェルシュフーレン

Sapporo2 クリエイティブに取り組むための新しい提案

Sapporo2(サッポロ・ツー)とは、柔軟で開かれた考え方。また目には見えないが、現実の札幌という街に重なり合うように存在している想像上の街の名前である。このパラレルワールドは、札幌に新しい物語をつくりだすとか、わたしたちの日常生活を見直すといった創造的なプロセスに、だれもが参加できる。この街=パラレルワールドは、現実の世界に似ているところもあるが、それは単に見た目だけのこと。ここで行われるすべての活動は、創造的な可能性のために検討され、実践されていく。

また、Sapporo2は、札幌の冬景色の中に未来のアート・マニュフェストの舞台をつくるというプロジェクトの名称でもある。アーティストとアート・プロデューサーとで行う共同作業に刺激を与えることもプロセスのひとつであり、自立した創造的なコミュニティをしっかり発展させることがねらいだ。さらに、札幌の半年近く雪に覆われているという独特な都市環境を活用して、現実のシステムに変化をもたらす、新しいことのできるプロジェクトを実現することを目論んでいる。共同作業をともなうこれら一連のプロジェクトは、多くの人が、協力しあうことの力強さを実感するだけではなく、創造的な新しい流れを生み出し、既成概念を見直すきっかけにもなるのだ。

札幌市には約200万人が暮らし、現代アート美術館、ギャラリー、大学、いくつかのアーティスト・イニシアチブもある北海道最大の都市だが、文化的活動は弱体化している。だからSapporo2のようなプロジェクトが必要なのだ。このままでは、札幌にいるアーティストたちは、この現状に不満を抱き、将来のキャリアを求めてほかの土地へ去ってしまう。事実、札幌のアーティストたちは、日本のほかの地域や海外で働くチャンスを得ようとしている。しかし残念ながら、他の土地で培った経験を札幌に持ち帰って反映させ、札幌で新しいネットワークを展開させることはしていない。
しかも、札幌の活動的なアーティストたちは、一般社会から切り離されたアート業界という舞台に、自分のキャリアを根付かせるために、個人的な活動に終始していることが多い。これは、ありもしない競争原理に基づくアート業界のヒエラルキーにのっとったやり方に過ぎないし、また文化活動への金銭的な支援は、アート・マーケットの力関係に左右され、変化の激しい日本の市場経済に依存している。したがって、アーティスト・イニシアチブや文化事業オーガナイザーが、企画をつくり、活動の質を向上させていくために、経済的なサポートを得てその活動を継続することは困難な状況である。

では、どのようにすればアートが社会の一員となって、街やコミュニティを創造的な状況へ展開させていくことができるのだろうか?

札幌市はたくさん雪の降る街だ。毎年、札幌の街は凍てついた氷に覆われ、札幌市民全員が雪に関わりを持つ。道路や公園の除雪には、たくさんの人とたくさんの除雪機械とたくさんの予算が投入されている。こうして雪を都心部から郊外に運んでいるが、これは単に雪を場所から場所へと移動する行為に他ならない。

雪を移動するだけの現在の除雪方法を、変えることはできないのだろうか?
雪を廃棄することの代わりに、雪を創造的なアートの素材にできないのだろうか?
雪を移動しているにすぎない除雪という行為を、創造的な行為に転換することはできないのだろうか?
除雪作業がコミュニティにおける創造的な共同作業とは成り得ないのだろうか?
雪や除雪作業を通して、新しく創造性のある展開を生むことはできないのだろうか?

2006 カミーユ・フェルシュフーレン